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13件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2012-03-28 第180回国会 参議院 農林水産委員会 第4号

大臣ももう御存じだと思いますけれども、全国の耕地面積の五二%が水田、あとの四六%、七%は畑作ですよ。半々ですよ。畑作人たちは農地集積しなくていいんですか。これでは不公平ですよ。私どもの鹿児島でもしょっちゅう言われます。それは今日北海道からお見えになる方々も、何だ俺たちは対象じゃないのかというお話ですよ。

野村哲郎

1971-10-07 第66回国会 参議院 農林水産委員会いも、でん粉対策小委員会 閉会後第1号

で、ことし稲作転換で、多少ビート稲転あとへ実験的に入れたわけでございますが、実験的に入れた地帯は、まあこれは普及員等が付きっきりで指導したこともありますが、非常に好成績で、四トンをはるかに上回ると、場所によっては七トンとれた、八トンとれたというような報告等も来ておりまして、本年度本ビート収穫終了後におきましてはそのデータを十分に取り寄せまして、来年以降この水田あと地帯ビート農業を入れていきたいというふうに

荒勝巖

1971-02-18 第65回国会 参議院 農林水産委員会 第3号

このため、集団的転作を推進するための稲作転換促進特別事業をはじめとし、公共事業による土地基盤整備、第二次農業構造改善事業活用を行なうほか、農業改良資金による作付条件整備家畜導入事業都道府県野菜価格安定基金造成試験研究拡充水田あと地への造林等を行なって稲作軽換の条件整備し、その促進をはかることとしております。  

宮崎正雄

1971-01-27 第65回国会 衆議院 農林水産委員会 第1号

このため、集団的転作を推進するための稲作転換促進特別事業をはじめとし、公共事業による土地基盤整備、第二次農業構造改善事業活用を行なうほか、農業改良資金による作付条件整備家畜導入事業都道府県野菜価格安定基金造成試験研究拡充水田あと地への造林等を行なって稲作転換条件整備し、その促進をはかることとしております。  

太田康二

1970-04-14 第63回国会 参議院 予算委員会第三分科会 第2号

政府委員荒勝巖君) 私たちのほうでも米の転換に伴いまして果実あるいは野菜への転換を期待している次第でありますが、現在の時点におきましてたとえばミカン類を見ますと、水田あと地に直ちにミカンを植えるということにつきましては、技術的に多少まだ難色がございまして、いわゆる水田排水事業が十分できるということが前提になりますので、米作地帯が直ちにくだものの産地に適すかどうかにつきましては、十分各産地とともにわれわれは

荒勝巖

1970-03-11 第63回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号

水田あと地でも、考え方によっては豆なんか密植して、豆の花の咲きかけた時分に青刈りしてやれば、相当高たん白飼料になることはもう実行されておりますから、そういうことも考えられるが、とにかく飼料を自給するということに農林省はもっと力を入れてもらいたいということであります。この飼料自給に対し、その自給計画その他についての計画がありましたならばお伺いいたしたいのでございます。

松浦周太郎

1970-02-24 第63回国会 参議院 文教委員会 第2号

津島遺跡については、当委員会においてしばしば取り上げられた事柄でありますが、岡山県が県営総合グランド内に武道館を建設のため工事に着手したところ、遺跡が発見され問題となり、再三の調査の結果、弥生時代前期住居、倉庫、水田あとなどが発見されて、文化庁から史跡に指定されました。そのため県は、武道館を同グラウンドの西北隅に建設することになったものであります。

安永英雄

1969-03-19 第61回国会 衆議院 農林水産委員会 第12号

そこで、九千ヘクタール新たにつくりますものを、いろいろ地域で具体的に計画をつくります場合に、従来は、戦後の長年の食糧需給に対しての私どもを含めての認識が、水田は大事でございますから手をつけないということでございましたが、これからは、米の需給状況がいま考えられるようなことである限りは、やはり新たにつくります桑園につきましては、地域の実情に応じて、省力化可能性ということを含めて、山地だけでなしに、水田あと

小暮光美

1968-11-29 第59回国会 参議院 文教委員会 閉会後第4号

これは推定されるのでありまして、その水田あとが、武道館を建設する、したいと言っている敷地内に、あるべきものと、このように杉原教授以下学者が考えたのであります。それがことしの八月にやりました調査結果では、水田あとが出てこない。また住居あとというものもはっきりしたものが出てこない。

今日出海

1965-08-05 第49回国会 参議院 文教委員会 第2号

私は直接その後行ってみませんけれども、話を聞きますというと、やはりもっと明らかにしたいこともたくさんあるらしいし、たとえばこの望月さんの書かれた、今後残された問題として三項ばかり出ている中でも、登呂のいわゆる水田あとの範囲の限界をやはり知りたいということが一項になっています。その他確認できた部分を完全に発掘して、完掘して現地の広さ、これは畦畔——あぜやみぞ、畦畔や水路の細部の調査などをやりたい。

小林武

1965-08-05 第49回国会 参議院 文教委員会 第2号

そこで、登呂遺跡重要性などということをここで議論する必要もないと思いますからお尋ねをいたしますが、まず、これはあとで政務次官にひとつ政治的な御判断はお尋ねをいたすことにいたしまして、村山さんにお尋ねいたしたいんですが、登呂遺跡水田あと調査報告について、昭和四十年三月の予備調査、この予備調査報告があったと思いますが、この予備調査報告に従って、史跡である登呂遺跡について、文化財保護委員会としてはどういう

小林武

1963-06-28 第43回国会 衆議院 本会議 第42号

野口忠夫君(続) 特に寒地てん菜については、その耐寒性作物であることと、畜産との有機的結合による輪作体系合理化等によって、将来有利な作物として発展させていくべきであり、また府県ビートの場合も、これからの畑作経営に、あるいは水田あと作に導入する可能性があるのでありますが、これらにつきましては、国の試験研究拡充技術指導体制整備強化、そして強力な融資助成措置が必要となるのであります。  

野口忠夫

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